頼朝の墓 ふたつの意外な事実を知る/ブログには正直でありたい

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年々ひどくなる方向音痴

6月19日 月曜日 AM7:50投稿

源頼朝公の墓は鶴岡八幡宮の東鳥居を抜けて約12分の場所にあります。

要所要所に案内板

とても分かりやすい道順。

それなのに帰りは曲がる場所が判らなくなり娘に呆れられる。

年々ひどくなる方向音痴。

ひとりの時は心して歩かなくちゃ(><)

頼朝の墓 ふたつの意外な事実を知る

頼朝没年齢53歳と同じ53段の階段。

急で斜めのちょっと怖い階段を上ると

ついに源頼朝のお墓です。

説明は手抜きで申し訳ないです。

苔むした詫びれた雰囲気のお墓。

『ここにはもう頼朝公の骨はありませんと』言う話も聞くけれど

今も眠っていると信じて参拝しました。

ここでふたつの意外な事実を知ることに。

お墓の前の空き地に立つこの石碑

『史跡法華堂跡 源頼朝墓・北条義時墓』と刻まれている。

横の広場に義時の法華堂があったとのこと。

隣り合わせで眠る頼朝と義時

大河ドラマファンでなくても浪漫を感じます。

そして頼朝にはもう一人の弟がいたという事実をお墓横のこの案内板で知りました。

要約すると

頼朝は13才、弟である希義は3才。

同じ父母を持つ二人の兄弟は平治の乱の際生き別れに。

兄弟の悲哀を想い互いの墓所の土と石を交換し八三五年の時を経て兄弟は再会。

その土と石です。

頼朝の兄弟といえば、異母兄弟の義経や範頼が有名ですが

同じ父母を持つ希義がいたなんて。

生き別れにならなかったら歴史は変わっていたかも。。。

頼朝と義時

頼朝と希義

今もこうやって繋がっているのですね。

ブログには正直でありたい

その後小町通りに戻り少し休憩することに。

ネットで事前検索した揚げパン。

絶対食べよう。

今年3月に開店した 『雪ノ下 あげパン

小町通りは大混雑だったけれど脇道に入ったこのお店は穴場で

オシャレなカウンターに座ることが出来ました。

ここで昨日のブログに書いた娘の言葉を聞くことに。

ブログに夫とのことを書く。

それを娘が目を通す。

娘の気持ちを考えたら正直に書く事は控えることが賢明。

ただそれでは私がブログを書く意味がない。

私がブログを始めたきっかけは

息子の離婚問題や夫と関係について心の整理をするため。

何かのきっかけでブログを始めたことを娘に伝えたけれど

ブログを読んでくれれば今の私の正直な気持ちを理解してもらえる。

以前この事で娘に確認したけれど

ブログの内容は実際に聞いていることなので別に問題ないと。

この前のことはたまたま、まだ娘に話していなかったから。

私のブログに登場する家族友人など私に関わる人たち。

あえて私からは言わないけれど私のブログの存在が判っても構わないと思っている。

もちろん絶交中の長姉にも。

自分に正直でありたい。

普段の生活でもブログでもこれは私の共通する思いなのです。

夫にだって読んでもらっても構わない。

会話の無い夫婦。

私がどんな思いで生きているのか夫にも知ってもらいたいから。